2007年10月26日
ざらざらが取れた
昨日のブログで、価値観の違いでものすごく落ち込んだことを書いた。
その記事を読んで、慰めのコメントを書いてくださった方々に感謝。
自分の価値観は、良くなくて、今までやってきたことは無駄だったのか、と一晩考えた。
考えた結果、やっぱり「まちがっていない」と思う。だからと言って、ほかの人の考えが間違っているわけではないけど、この価値観は、やっぱり譲れない。
教員は、やる気のある学生のために、最大限の努力をするべきである。たとえ、それが教員にとっても負担であっても、やる気のある学生のためには、最大限の努力をするよう心がけるべきである。
努力の大小は、状況、その他によって人によって異なるだろう。その努力の大小の是非は、学生と機関にしか判断はできないと思う。しかし、教員の努力の目をつぶすようなことはしてはいけないし、自分が学生のために行っている努力と信じたものは、そのまま突き進めていいと思う。努力の是非は学生に判断をゆだねたい。
その記事を読んで、慰めのコメントを書いてくださった方々に感謝。
自分の価値観は、良くなくて、今までやってきたことは無駄だったのか、と一晩考えた。
考えた結果、やっぱり「まちがっていない」と思う。だからと言って、ほかの人の考えが間違っているわけではないけど、この価値観は、やっぱり譲れない。
教員は、やる気のある学生のために、最大限の努力をするべきである。たとえ、それが教員にとっても負担であっても、やる気のある学生のためには、最大限の努力をするよう心がけるべきである。
努力の大小は、状況、その他によって人によって異なるだろう。その努力の大小の是非は、学生と機関にしか判断はできないと思う。しかし、教員の努力の目をつぶすようなことはしてはいけないし、自分が学生のために行っている努力と信じたものは、そのまま突き進めていいと思う。努力の是非は学生に判断をゆだねたい。