2011年11月21日
なぜ本を読むのか
私には、「ぐだぐだ病」がありまする。
「ぐだぐだ病」ってのは、考えてもしょーもないことを考えてしまう病気で、そういうときの考えは、往々にして、negativeな考えである。
「ぐだぐだ病」が発病してしまうと、negativeな考えがえーんえんと頭をまわってしまうわけです。
本当に、しょーーーもない、病気(癖?)である。
しかし、四半世紀以上生きてみると、自分のそういう病気(癖?)にも気づいてるし、どうすれば、そういう負のスパイラルから抜け出るのか、ということも経験論から知っている。
それは、心を無にして、なぜ、そんなぐだぐだが発生したのか、自分に問いかけるということ。
んん、なんじゃそりゃ、って感じですけど。
うん、なーんで、私は、そんなぐだぐだを感じるのか、その原因となる自分の心をさぐる、ってゆう感じ。
心を無にするってゆーとたいそうなことのような気がするけど、そんなたいそうなことではない。
どういうわけか、私は、岩盤浴に行くと、頭がぼーっとして自分に集中ができる。
ひったすら、熱い中で自分は、何が不満で、または、何がしたくで、ぐだぐだを感じているのか考えるのだ。
ずーっと考えていると、なんか、その原因に行きつくし、原因に行きついたら、じゃあどうすればいいのかも考える。
そーするとね、結構すっきりするのだ。
おお、前ふりながっ!
で、タイトルにもどると、その「本を読む」ということは、「自分をさぐる」知識になっているというわけだ。
自分の経験を分類する基準になってたり、今後の方法論の指針になってたりする。
まあ、めんどくさい作業だけど、めんどくさい性格の私には、必須の作業です。
というわけではないが、やっぱり、いろいろな本を読んで、考えなければならないです。
Posted by みっちー at 01:14│Comments(0)
│日記