2007年09月11日
場面を教える
今日も授業が終了。やはり反省。なんというか、文型を練習するのにとどまっていて、文型練習とともに場面を教えることができていない気がする・・・・・。
「どんなとき、どんな場面にこの文型を使うのか」ということを学生に意識させたいと常々思う。けれども、意識させられる場面がなかなか生み出せない・・・!!!
そして、韓国語対日本語という環境。韓国語はほとんど日本語と同じ。(←初級ならなおさら)なので、意識して場面を教えることに意味があるのかと考えたりすることもある。つまり、母語で言いたい!と思ったことをそのまんま日本語で訳したら、日本語になるのだから。とすると、文型練習をひたすらして、自動化を促進したらいいのかな、と思ったりもする。また、日本語が専門とはいえ、必ずしも皆が皆の進路に日本語が必要というわけでもないのだ。
でも、やはり印象的な導入、練習、これがいえてうれしい!と言うような日本語を勉強する喜びを感じてもらいたいし、やはり発話には場面による連想が大事だと信じている。どう思われようとも、どういわれようとも、場面導入の道を究めたい!
「どんなとき、どんな場面にこの文型を使うのか」ということを学生に意識させたいと常々思う。けれども、意識させられる場面がなかなか生み出せない・・・!!!
そして、韓国語対日本語という環境。韓国語はほとんど日本語と同じ。(←初級ならなおさら)なので、意識して場面を教えることに意味があるのかと考えたりすることもある。つまり、母語で言いたい!と思ったことをそのまんま日本語で訳したら、日本語になるのだから。とすると、文型練習をひたすらして、自動化を促進したらいいのかな、と思ったりもする。また、日本語が専門とはいえ、必ずしも皆が皆の進路に日本語が必要というわけでもないのだ。
でも、やはり印象的な導入、練習、これがいえてうれしい!と言うような日本語を勉強する喜びを感じてもらいたいし、やはり発話には場面による連想が大事だと信じている。どう思われようとも、どういわれようとも、場面導入の道を究めたい!
Posted by みっちー at 18:33│Comments(0)
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