2011年11月28日
技術は盗め
NHKオンラインで、「脱日入亜」というドキュメンタリーを見た。
内容としては、成長著しいタイに製造業の拠点が移りつつある。
タイの財閥の中には、日本のメーカーすら買収する財閥も生まれている。
タイ企業に飲み込まれた日本企業の技術者は、これまでの日本のやり方「技術は盗め」を否定され、
新たなやり方でタイ人技術者に技術を教えていき、タイ人技術者とともに新たな金型を作っていくというもの。
というストーリーだろうか。
ドキュメンタリーの内容としては、とてもいい。
しかし、「技術は盗め」の否定というのは、ちょっとと思う。
なんつーか、日本人技術者たちは、一応タイ人技術者にアドバイスしてたもんねー。
それが聞き入れられないというか。
買収したんだから、お前ら(日本人)が、我々(タイ人)に教えるのは当然だ!みたいな感じをうけた。
マニュアル作れ!みたいなことゆってたし。
私の一方的な主観ですが。
教えるのがわかりにく、というのは、確かに問題だけど、
なぜ、マニュアルをつくらないのか、考えてもらいたいものです。
職人芸マンせーというわけではないのですが、マニュアルがあったら、それしかできなくなるのでは、と思う。だから、マニュアルがない。
うーん。なんだか、まとまらん駄文。
2011年11月21日
変化に対応する
教材探しとして、『NHK スペシャル メインド イン ジャパンの命運』という番組を見る。
うむむむ。非常に深い。
日本のものづくりビジネスモデルは、ますます変化していくんだろうな・・・。
いいことかわからないが、これまでと同じ方法というのは、もう、通用しないのか?
主義やらなんやらを棚上げして、変化に対応できる人間が求められる世の中になるのかしら。
問題があるとわかったのなら、いつまでも、主義にとらわれて、その問題を放置するのではなく、どうすれば、よくなるのか、ということだけを考えていかなければならないんだろーな。
2011年11月21日
なぜ本を読むのか
私には、「ぐだぐだ病」がありまする。
「ぐだぐだ病」ってのは、考えてもしょーもないことを考えてしまう病気で、そういうときの考えは、往々にして、negativeな考えである。
「ぐだぐだ病」が発病してしまうと、negativeな考えがえーんえんと頭をまわってしまうわけです。
本当に、しょーーーもない、病気(癖?)である。
しかし、四半世紀以上生きてみると、自分のそういう病気(癖?)にも気づいてるし、どうすれば、そういう負のスパイラルから抜け出るのか、ということも経験論から知っている。
それは、心を無にして、なぜ、そんなぐだぐだが発生したのか、自分に問いかけるということ。
んん、なんじゃそりゃ、って感じですけど。
うん、なーんで、私は、そんなぐだぐだを感じるのか、その原因となる自分の心をさぐる、ってゆう感じ。
心を無にするってゆーとたいそうなことのような気がするけど、そんなたいそうなことではない。
どういうわけか、私は、岩盤浴に行くと、頭がぼーっとして自分に集中ができる。
ひったすら、熱い中で自分は、何が不満で、または、何がしたくで、ぐだぐだを感じているのか考えるのだ。
ずーっと考えていると、なんか、その原因に行きつくし、原因に行きついたら、じゃあどうすればいいのかも考える。
そーするとね、結構すっきりするのだ。
おお、前ふりながっ!
で、タイトルにもどると、その「本を読む」ということは、「自分をさぐる」知識になっているというわけだ。
自分の経験を分類する基準になってたり、今後の方法論の指針になってたりする。
まあ、めんどくさい作業だけど、めんどくさい性格の私には、必須の作業です。
というわけではないが、やっぱり、いろいろな本を読んで、考えなければならないです。
2011年11月20日
読書備忘録:『20世紀少年』『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
続きまして、こちら。
普通に面白い。これも映画化されてて、読みやすい。
あらすじは、世間に、「ともだち」の唱える思想のみしか、存在を許されない新興宗教?のようなものが、蔓延しかかっており、「ともだち」の危険性を暴こうとする人たちがどんどん怪死していく。やがて、「ともだち」率いる「友民党」は日本の思想を支配し、「ともだち」の思想以外は許されない社会になっていく。そして、友民党を批判する言論、表現なんかしようものなら、「絶交」=「死」される。そのような社会を、主人公けんじとその仲間たちが、暴力ではない、歌の力などで変えてゆく、というストーリー。
いつ出版されたのか、よく知らないのだけど、全体として、「ともだち」=オ○ム真理教?のような印象を受ける。友達のいない、孤独な人につけこむというか。
うん。そこら辺の部分は、そんなに新しくないような気もするんだけど、壮大な世界観、綿密に編み上げた設定、謎の引っ張りなどは、とても素晴らしい。生かされていない設定もいくつかあるんだけど、たとえば、かんなの超能力とか、けんじの歌の力?、「カツマタくん?」、それを差し引いても、考えさせる、いい作品だな、と思う。
やっぱり、どんなことであっても、「考えないことは暴力になりうる」ということが、この作品で考えさせられたことかなー。どんなことであっても、右でも左でも、考えないで、声高に主張してはいけないのだ。気を付けないと。そして、人の考えを認める。いろんな意見があっていいのだ、表現する自由があることはすばらしい。
というわけで、考えて、人に意見を伝えなければ!ということで読みだしたのが、こちら。
この本も読みやすかった。amazonで好評価だったんだけど、その評価にたがわず、満足。
書くことをコミュニケーションととらえて、どういう風に書けば、相手に自分の考えが伝わるのか、といううことが書かれているのだけど、この本は、単なる書き方How to 本ってゆうわけではないように思う。
書くことによって、相手のことを考え、自分の考えを深めていくというか。とにもかくにも、「自分と相手を考える」必要性を主張している。むむっ。結構深いように思う。考えていけば、自然と伝わる文となるのだ、というような気がする。
常に、相手のことを考えて、「考えて」いかんといかんなー、、、、と考えさせられた二冊でした。
普通に面白い。これも映画化されてて、読みやすい。
あらすじは、世間に、「ともだち」の唱える思想のみしか、存在を許されない新興宗教?のようなものが、蔓延しかかっており、「ともだち」の危険性を暴こうとする人たちがどんどん怪死していく。やがて、「ともだち」率いる「友民党」は日本の思想を支配し、「ともだち」の思想以外は許されない社会になっていく。そして、友民党を批判する言論、表現なんかしようものなら、「絶交」=「死」される。そのような社会を、主人公けんじとその仲間たちが、暴力ではない、歌の力などで変えてゆく、というストーリー。
いつ出版されたのか、よく知らないのだけど、全体として、「ともだち」=オ○ム真理教?のような印象を受ける。友達のいない、孤独な人につけこむというか。
うん。そこら辺の部分は、そんなに新しくないような気もするんだけど、壮大な世界観、綿密に編み上げた設定、謎の引っ張りなどは、とても素晴らしい。生かされていない設定もいくつかあるんだけど、たとえば、かんなの超能力とか、けんじの歌の力?、「カツマタくん?」、それを差し引いても、考えさせる、いい作品だな、と思う。
やっぱり、どんなことであっても、「考えないことは暴力になりうる」ということが、この作品で考えさせられたことかなー。どんなことであっても、右でも左でも、考えないで、声高に主張してはいけないのだ。気を付けないと。そして、人の考えを認める。いろんな意見があっていいのだ、表現する自由があることはすばらしい。
というわけで、考えて、人に意見を伝えなければ!ということで読みだしたのが、こちら。
この本も読みやすかった。amazonで好評価だったんだけど、その評価にたがわず、満足。
書くことをコミュニケーションととらえて、どういう風に書けば、相手に自分の考えが伝わるのか、といううことが書かれているのだけど、この本は、単なる書き方How to 本ってゆうわけではないように思う。
書くことによって、相手のことを考え、自分の考えを深めていくというか。とにもかくにも、「自分と相手を考える」必要性を主張している。むむっ。結構深いように思う。考えていけば、自然と伝わる文となるのだ、というような気がする。
常に、相手のことを考えて、「考えて」いかんといかんなー、、、、と考えさせられた二冊でした。
2011年11月20日
読書備忘録:『島耕作』『サラリーマン金太郎』
ご無沙汰しております。
気が付けば、一年以上空白の期間があります。
まあ、ブログの紹介文とは違う状況におりますが、悲しいかな、やっていることには、あまり成長がないようです。
最近、漫画をよく読んでるんですけど、その備忘録っす
まず、第一。
サラリーマンのバイブル、島耕作シリーズです。まあ、題名の通り、初芝(モデル:panasonic)株式会社サラリーマンの課長島さんが、社内派閥に属さず、不況にも負けないで、出世していく、という話です。
結構前から連載されてて、課長だった島さんは、今は社長さんになっています。
島さんが社長になったときは、確か、各社新聞の一面か何かで、「初芝、新社長に島氏」とかゆー見出しがでたとか、出てないとか。
課長から始まって、部長、常務、専務、取締役、社長、(ちょっと順番はうろおぼえです)という風に、時代が流れていくんですが、このシリーズのいいところは、現実の経済情勢にちょっと対応してて、ずぶの素人には、ちょっと勉強になる。バブル期日本(前半)から不況日本(後半)の初芝の経済活動の違いが面白い。不況に行くにしたがって、経済活動の面白さが減って、妙な珍事件が多くなってしまうのが、残念ですが、経済活動が減っているのが現実なのかな、と思ってしまいます。(とはいえ、後半の、「ええー!島耕作ってこんな話やったん!」という突っ込みを入れたくなるような、脱線ブリは、尋常じゃない)
でもまあ、長期連載するぐらい面白いのは、事実です。字、多いけど。勉強になるし。(ただ、日本語の授業には、使えないな。主人公島耕作の女のもてっぷりも尋常じゃないし、濡れ場多い。)
いやー、青年誌もなかなか、面白いじゃないのと思って読み始めたのが、こちら。
が、こちらは、正直、「腹が立ちます」
個人的には、『島耕作』のほうが好きだな。
あらすじを簡単にいうと、元暴走族で、高校中退の学歴を持つ金太郎が主人公で、ひょんな縁で、大手ゼネコン「大和建設」に入社して、閉鎖的なサラリーマン世界を変えていく。金太郎の情熱で、大和の社員たちも頑張る、みたいな感じかな。
なんちゅーか、あまり、面白いと感じませんでした。なんでだろーね。
一つは、この作中に、「男尊女卑」みたいな感じが読み取れる。思うに、前述の島耕作より、後年、どっちかっちゅーと日本が不況に入り始めたころに出版されたのかしら。全体的に、「男よ!情熱を持て!女よ!男を応援しろ!」みたいな感じがする。きれいな女の人はバーのママだし、異様に男支えてるし。なんか変。
それは、それでいいんだけど、「島耕作」と違って、腹が立つ最大の原因は、金太郎が、妻帯者なのに、浮気をしたことだろうか。
あんなーに、女に支えてもらってんのに、結局は浮気かよ!と思ってしまう。
そりゃ、島さんも女関係派手だけどさ、結婚してないから、なんか許せる。
それに引き替え、金太郎は、最悪やな。えっらそーなことゆってて、浮気するんだもん。
「島耕作」と「金太郎」同じサラリーマン漫画だけど、「青年漫画」と「少年漫画」の分類が可能だと思う。両方とも、主人公スーツ着ているけど、根本に流れているストーリー構成が全然違うのだ。
「金太郎」を例にとると、わかりやすい。「金太郎」は、あくまでも、「少年漫画」なんだよねー。
従来の「少年漫画」の王道ってのは、「主人公には、先天的な特殊能力があって、その主人公が、強敵と戦いながら成長を遂げる。成長の過程で、仲間との友情を深める」というもんだと思う。「ドラゴンボール」「スラムダンク」しかり。
「金太郎」は、まさにそれ。現実社会を舞台にしているようだけど、「生まれ」とか「元暴走族」とか、なんとかで、困難を解決していってる。だんだん、信頼できる仲間ができてるし。金太郎、成長してるし。うーん、少年漫画だ。
一方、「島耕作」はそんなことないように思える。異様に女にもてるけど。比較的、困難に対して、主人公の先天性が影響しない。別に島さん、困難に打ち勝ったからといって、何か目に見える能力があがっているわけではない。もちろん、出世していくわけだが、島さん個人に成長という言葉は見当たらないだろう。
だからまあ、「青年漫画」=対応ストーリー、「少年漫画」=成長と友情、という分類なのかしら。
とにもかくにも、島さんのほうに一票なのだ。同じ仕事をするなら、そつなくこなす島さんと一緒にしたいと思うのが人情である。「金太郎」は仕事への情熱を売りにしているが、そんなもの、あるのが当然で、ことさら、強調しなくてもよいと、いじわるな目でみてしまう。