2007年02月15日

宗教と学問

 大学生のころ、「学問には宗教としかいえない部分がある」というようなことをとある先生から習った。で、私もその考えにずーっと同調して、そのとおりだと思っていました。だから、学問の道を深めれば深めるほどそんな部分があるってずっと信じていた。

 でも先日、これまたとある先生と「文法研究対第二言語習得」というお話をして、すごく議論になった。私も一生懸命で、その先生も一生懸命に議論をした。どっちが正しいというわけではないけど、「学問には宗教としかいえない部分がある」という部分を実感した。けど、そこの部分をその先生に説明できなかった。どのへんが宗教の部分なのか。ここの根本を信じているから、信じてるんですっていえなかった。(その先生は哲学をもってらっしゃるから、こう信じてるから信じない、といってたけど)

 「学問には宗教としかいえない部分がある」というのは、ある種の哲学なんだろうな。私は今の今までその哲学を言葉だけ捕らえていて恥ずかしいもんだ。もうちょっと研究に対して哲学をもてるように精進しなければ。

 また「文法研究対第二言語習得」というお題は、本当に不毛なお題であるかのようだけど、議論をすることで、自分は当然と思っていることに対して疑問がわき、その部分を補強してから研究を進めないとと思った。一人よがりはよくない。

 やはり、その道の長い人とお話をすると勉強になる。


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